​中国武術の歴史

 何千年という中国の歴史の中でも、とりわけ武術の歴史は中国を語る上でも避けては通れない。中国武術は日本はもちろん、周辺諸国のみならず世界各地にもその影響を与えてきた。

 その武術の歴史はおよそ新石器時代までさかのぼる。人々は集落をつくり、平穏な生活をしていた頃、武術は大きな獣を集団で狩るための訓練であり、ダンスのようなものであった。しかし集落も増え手狭になってくると、新たに豊かな土地を手に入れるため部族間で互いに争い、やがて命をも奪い合った。長い長いたたかいの歴史の始まりである。

 

 戦に負け、土地を奪われた者は捕虜となり延いては奴隷となる。この奴隷制度が導入され始めると、それはだんだんと貪欲な者たちの覇権争いへと変わっていった。終わりの見えない争いの中で、敵よりもいかに優れた武器・兵器を開発するのか、​その開発した兵器を戦場へと導入しいかに多くの敵を討ち、自軍の被害を減らすことができるか、いかに効率よく敵を殲滅するのか…戦場は盤上のみならず、多くの修羅場をくぐり抜けてきた将の勘が鉄壁の兵法を打ち砕く。試行錯誤する中で、ものづくりの技術や戦の技術は戦乱の世に磨かれていったのだった。

 そして時折訪れる平和な時代に、人々の生活や心に余裕ができると娯楽が発展することとなる。単なるたたかいの道具であった武術は、人々を楽しませるための性質も持つようになった。各地から多くの人々が集まるような大きな祭の演目のひとつになり、王の前で演武を献じるようにもなったのだ。

 つかの間の平和は過ぎ去り、再び訪れる恐怖の毎日。いつ殺されるか、いつ大切な人を失うかわからない何千年と続く戦乱の世に、人々は次第に心も体も疲弊していった。そんな時、唯一人々の心を癒したのは宗教だった。瞑想をしている時だけは心を無にしてすべてを忘れることができる…休まらない辛い日々から目を背けるため、将軍も平民も宗教を心のよりどころにするようになった。

 武術は単に”武術”といっても、その長い歴史の中で”様々な発展”をしていったのだ。

 文化大革命時にその歴史の多くは失われてしまったが、1950年頃から武術は国民の健康増進のためのスポーツとして普及が図られるようになり、その中でも太極拳が健康増進のための武術体操として普及されるようになった。さらに1960年代に[武術競技規則]が定められ、競技スポーツとしての武術大会が実施されるようになったのだ。

 現代において中国武術は伝統を守り伝えるだけでなく、人々の心と体の健康を守り、希望と目標を与える役割を担っている。

@East martial arts  Japan