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Wushu

中国武術

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中国武術の歴史の始まりは何千年も遡ります。

長い年月をかけ、様々な進化を遂げた中国武術は多様性を持ち、現代においては主に伝統表演健身の3つに分かれています。

 

伝統、表演、健身それぞれは密接にかかわっていますが、これらを学ぶ際に何を目的に学ぶのか、どのような練習がメインになるのかなど、各々特色が異なります。

以下、それぞれの分野の特徴をまとめました。どれを選んでいいかわからないなどありましたらご相談も受け付けておりますので、あなたの学びたい目的をお伝えください。

Traditional Wushu

伝統

Wushu Taijiquan

​表演

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Health Wushu

​健身

Traditional Wushu

伝統

伝統

伝統武術は本来のカンフー、つまり戦う方法を学びます。

 

しかし、自ら積極的に戦いを仕掛け他人を傷つける行為は暴力であり犯罪です。

たしかに、人類の歴史には武勇が讃えられ首級を挙げたものに褒美を取らせる時代がありましたが、それらの長い戦争の歴史は数多くの命の犠牲を出し、深い悲しみと苦しみを残してしまいました。我々の祖先の多くが望んだことは『平和な世界』。

現代においては伝統武術を学ぶ上で武徳礼儀を身につけることが第一としています。武徳のない武は暴力と同じであり、礼儀に欠けるものは他者から認められることはありません。ここでは各技の用法等はもちろんですが、力(武力)を心でコントロールする術を学ぶことができます。

表演

Wushu Taijiquan

​表演

​表演は中国武術の競技スポーツです。国際的には『WUSHU ウーシュウ』、日本では『武術太極拳』と呼ばれています。

表演では実際にたたかうのではなく、実際の武術の体の使い方やひとつひとつの技をより丁寧に細かく学び、それを美しく表現します。コート上で演武をし形(かた)の正確さ、力強さ、スピード、美しさなどを競う採点競技になります。

武術の基礎となり非常にスピード感のある長拳、力強く猛々しい南拳、ゆったりと優雅な動きの太極拳を中心に各徒手(素手)競技をはじめ、伝統武術の拳種、武器術など種目は多岐にわたります。表演はかつての有名な武術家が集まり、誰でも習得できるようまとめ上げたカリキュラムを持っています。運動が苦手な方でも運動神経の向上やカンフーのエッセンスを習得することが可能です。

大会では幼稚園生から、80、90代のご年配の方まで老若男女問わず、生涯出場し続けることのできる競技スポーツでもあります。

目標を持ちたい、武術を学びたいけど安全にやりたい・コンタクト競技は嫌という方、美しく優雅でかっこいい武術で見る人を魅了したい方におすすめです。

健康

Health Wushu

​健身

健身武術では武術の動きを通して全身をまんべんなく隅々まで無理なく動かし、ストレッチし、さらに運動だけでなく呼吸や気功など、外面だけでなく内面からも刺激して健康へと導きます。

なぜ武術の動きが健康に良いの?と思われるかもしれませんが、かつての武術において心と体が強く健康であることはとても大切なことであり、心身ともに健康でなければ満足に戦えなかったのです。

優秀な武術家はかつて、医療にも精通していたり、宮廷の皇族たちに武術指導を通して健康管理も任されていました。武術を学ぶことは身体を学ぶことに繋がります。

特に世界的にヨガとともに健康維持促進として注目されている太極拳は、近年アメリカでは脳卒中後のリハビリにも取り入れられるなど、その効果は絶大です。

武術の入り口は広く、何歳からでも気軽に始めることができ、更に学びたい方は生涯をかけ学び続けることのできる奥深さもあります。武術は手の先から足の先、更に体の中に至るまで、全身に意識をゆきわたらせながら運動していきます。特に太極拳ではゆっくりとした動作で足腰を一番使いますので、ご年配の方の健康維持にはピッタリなのです。

武術はいくつになっても進化し続けることができるという自信を与えてくれるでしょう。

中国武術の歴史

 何千年という中国の歴史の中でも、とりわけ武術の歴史は中国を語る上でも避けては通れない。中国武術は日本はもちろん、周辺諸国のみならず世界各地にもその影響を与えてきた。

 その武術の歴史はおよそ新石器時代までさかのぼる。人々は集落をつくり、平穏な生活をしていた頃、武術は大きな獣を集団で狩るための訓練であり、ダンスのようなものであった。しかし集落も増え手狭になってくると、新たに豊かな土地を手に入れるため部族間で互いに争い、やがて命をも奪い合った。長い長いたたかいの歴史の始まりである。

 

 戦に負け、土地を奪われた者は捕虜となり延いては奴隷となる。この奴隷制度が導入され始めると、それはだんだんと貪欲な者たちの覇権争いへと変わっていった。終わりの見えない争いの中で、敵よりもいかに優れた武器・兵器を開発するのか、​その開発した兵器を戦場へと導入しいかに多くの敵を討ち、自軍の被害を減らすことができるか、いかに効率よく敵を殲滅するのか…戦場は盤上のみならず、多くの修羅場をくぐり抜けてきた将の勘が鉄壁の兵法を打ち砕く。試行錯誤する中で、ものづくりの技術や戦の技術は戦乱の世に磨かれていったのだった。

 そして時折訪れる平和な時代に、人々の生活や心に余裕ができると娯楽が発展することとなる。単なるたたかいの道具であった武術は、人々を楽しませるための性質も持つようになった。各地から多くの人々が集まるような大きな祭の演目のひとつになり、王の前で演武を献じるようにもなったのだ。

 つかの間の平和は過ぎ去り、再び訪れる恐怖の毎日。いつ殺されるか、いつ大切な人を失うかわからない何千年と続く戦乱の世に、人々は次第に心も体も疲弊していった。そんな時、唯一人々の心を癒したのは宗教だった。瞑想をしている時だけは心を無にしてすべてを忘れることができる…休まらない辛い日々から目を背けるため、将軍も平民も宗教を心のよりどころにするようになった。

 武術は単に”武術”といっても、その長い歴史の中で”様々な発展”をしていった。

 文化大革命時にその歴史の多くは失われてしまったが、1950年頃から武術は国民の健康増進のためのスポーツとして普及が図られるようになり、その中でも太極拳が健康増進のための武術体操として普及されるようになった。さらに1960年代に[武術競技規則]が定められ、競技スポーツとしての武術大会が実施されるようになった。

 現代において中国武術は伝統を守り伝えるだけでなく、人々の心と体の健康を守り、希望と目標を与える役割を担っている。

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